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2006年01月18日

チョップスティック

先日5日間大阪の自宅に帰ってました。

でも人にあったり、やる事が山積みだったりで、なかなかピアノには触れず。

実は、この間に、東京にいる姉が遊びに来ていたのですが、久しぶりに二人でピアノを弾きました。姉は約20年ぶりに、私は2ヶ月ぶりにピアノに触りました。

まずは指ならしで、私が幼い頃、発表会の際に姉妹で連弾した「チョップスティック」を弾きました。あの頃は私の手は小さく、姉は私より背が高く、指も長くとかなり身体的に差がありましたが、今では私の方が1センチ身長が高く、指の長さはほとんど一緒。

私と姉は5つ近く年の差があったので、私のピアノスキルはかなり低く、私のレベルに合わせて連弾の曲が選曲されたため、「もっとかっこいい曲を弾きたかった」とぼやいていた姉。確かに他の人たちの発表を聞いていると、高学年の年子の姉妹の連弾は難度も高く、かっこ良かったのです。しかも「こんな簡単な曲レベルの子」と思われるのが姉には悔しかったに違いありません。でも、私なりに姉に悪いなあと思いつつも、ひねくれていたので姉に謝った事は一度もありませんでした(爆)。

ただ、この「チョップスティック」。ブランクのある私たちには最適な連弾曲でした。伴奏(姉のパート)は同じ事の繰り返しだし、私は個人的にこの曲が好きで何千回弾いただろうと言う位弾き込んで来たので、なんと1回で息もぴったりに弾けてしまいました。

また、この曲の楽しさが、私たち姉妹を童心に帰らせてくれました。

それから、ソナチネ集を引っ張りだして、一緒に弾いたのですが、二人ともその曲を知ってて以前弾けていただけに、頭の中のメロディーはどんどん進んで行くのに、指がそれに着いて行かないと言うおかしな展開に。二人でメロディーを歌いながら弾いていたのですが、歌だけが先にどんどん進んで行くのです。おかしくてたまりませんでした。

ふたりで「そこはフォルテ!」「次はピアノ!」「違うて、シャープ!、シャープ!!」と体育会系に声だししながらクレメンティを弾きました。そして弾き終わった後、お腹の底から笑いました。

たぶん、私たちのピアノ歴が途絶えていなかったら、こういう楽しい時間を送る事は無かったような気がします。モノは考えようですねえ。

姉のブログ
posted by スミゴルフ at 13:36| 大阪 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月25日

電子ピアノ

HP103.jpg

たった2ヶ月の付き合いでしたが、別れは悲しいものですね。誰か大事に使ってくれる人に使ってもらいたいです。

音が大変よく、表情も結構出せる良い子でした。

ありがと〜う。

ローランド HP103
posted by スミゴルフ at 18:52| 大阪 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月18日

発表会で弾いた曲

kariiredoki.jpg
先日実家に帰った際、昔の楽譜を物色していると、6歳の頃発表会で弾いた曲の載った楽譜を発見しました。

「刈り入れ時」というタイトルのその曲。
当時はタイトルの意味すら分からず、先生に怒られるのでイヤイヤ練習していたであろうこの曲。でも今弾いてみると、意外にもちゃんと指がおぼえていて、しかもすごく良い曲でした。
良い先生だったのかも。と今更ながら思いました。
この楽譜の書き込みの分だけ、たくさん練習してたんですね。懐かしいです。
posted by スミゴルフ at 10:46| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月27日

フジ子・ヘミング ソロリサイタル

本日、ザ・シンフォニーホールで開催されたフジ子さんのソロリサイタルに行ってまいりました。

前回、尼崎のアルカイックホールのソロリサイタルの際、花束などを渡している方がいて、フジ子さんはそれがO.Kな方だと分かり、今回の席は通路側で前方の席だったので、プレゼントとメッセージカードを持参することにしました。花束は他のファンの方がたくさん渡すだろうし、何が良いかなとずっと考えたのですが、フジ子さんの「運命の力」という本にジャガイモのおみおつけ(味噌汁)が大好きと書いてあったので、私の地元対馬の「あおさ」という海草の乾物(味噌汁に入れるとすごく美味しい)を贈ることにしました。ベジタリアンのフジ子さんもこれなら大丈夫かとは思ったけど、ちょっと変だったかな?

今回のリサイタルは一部でショパンを、二部でドビュッシー、ラヴェル、リストを演奏するという形でした。

開演予定時間を10分ほど過ぎた頃にフジ子さん登場。今日はベージュにグリーンの模様の入ったパンツスーツでした。でも普通のスーツじゃなくて、彼女独特のアレンジが加わったものです。肩にはネコのような白と黒のふわふわした飾りが付いていました。カッコよかったです。

第一部では先日のクラシックオブザイヤー受賞の際にも弾いたノクターンをはじめ、「別れの曲」、「革命」など有名な曲をたくさん弾いてくださいました。

「別れの曲」の時、なんだか分からないけど感動して涙が出てきました。すると、隣に座っていた私の母ぐらいの年齢の女性も泣いていました。

「革命」や「英雄」もすごく迫力がありぞくぞくしました。「英雄」の時は後半部分でフジ子さんの左足が力強くリズムをとっているというか、フラメンコの時のステップのように力強くダンダンと地面を踏んでる音もして、激しかったです。

第一部で最初の2曲を弾き終わった後、フジ子さんが突然退場されました。会場がちょっとどよめいたのですが、お客さんが数人入ってきました。その後すぐにフジ子さんが戻られて演奏再開。これもフジ子さんの著書「運命の力」で「遅刻したお客さんを締め出すホールが多いけど、私のコンサートにはせっかく来てくれたのだから入ってもらうわ」って書いてあったので、遅刻したお客さんへの配慮があったのかなと私なりに想像しました。

第一部が終わった後、20分間の休憩。私がトイレを済ませて席に戻った時、隣に座っていた女性に「フジ子さんのコンサートは良くいらっしゃるの?」と話しかけられました。フジ子さんのピアノを聴いて泣いたもの同士で、フジ子さんの話題で盛り上がりました。彼女はフジ子さんのピアノを聴いていると、今までの生きてきた中での思い出とかが頭の中を駆け巡るのだそうです。私も前回のソロリサイタルのときはそうだったなあと思い出しました。

それから第二部。衣装を変えてフジ子さん登場。クロのパンツに白のトップス、シースルーの黒のロングカーディガンでした。トップスの襟はセーラー服のように背中まであって、独特のデザインでした。

「沈める寺」「月の光」「亡き王女のためのパヴァーヌ」と私の好きな曲ばかり。その後リストの曲を6曲演奏されました。

今回は、ステージに向かって左側の席だったので、彼女の手の動きがすごく良く見えました。そしてピアノの練習を始めたこともあり、音楽を楽しむのはもちろんなのですが、手の動きにもすごく注目していました。すると、リストの曲には右手と左手を交差させて弾く場面が多いという事が分かりました。今まで右手で弾いていると思っていたメロディーのいくつかは左手が弾いてたんだと分かり、かなり驚きました。昔、ウッチャンが槙原ノリユキのマネをするコントがあったけど、あれぐらい右手も左手も忙しい。それなのにあの滑らかなメロディー。すごすぎました。フジ子先生、勉強になりました。

中でも「パガニーニによる大練習曲 第6番 イ短調 S.141-6「主題と変奏」」という曲。タイトルも長いが、曲も長かった。しかも内容が濃い。どんな曲だったかは上手く説明できませんが、とにかくすごすぎて、ただただ感動。左足の足踏み付きでした。「ラ・カンパネラ」並みの感動をもらいました。

そしてラストの曲「ラ・カンパネラ」。最近たくさんCDやiPodで聴いてて泣く回数も減ってきてたのだけど、やはり生演奏は胸にこみ上げてくるものがありました。楽譜を見て最初のさわりだけ弾いてみて、こんなに跳躍の激しい曲弾ける人なんていないよって思ってたけど、実際にフジ子さんが目の前でそれをやってるんですよね。すごく小刻みに離れた鍵盤の間を右手がすごいスピードで動き、それでいて滑らかな音を奏でているのを見て、たくさん練習を積まれたのだろうなあとしみじみ思いました。何度聴いても感動します。

で、です。私の今日の目的。プレゼントとカードをフジ子さんに渡して直接「ありがとう」を伝える事。

前回のアルカイックホールで「ラ・カンパネラ」が終わり、フジ子さんのお辞儀が終わった後、皆さん花束を持ってステージに駆け寄って行ってたのですよね。で、今回もスタンバイしてちょっと様子を見たら、何人か花束持って立ち上がっていたので、「今だ」と思いプレゼントを入れた紙袋を持ってステージ脇に小走りで駆け寄ったのです。

そしたら、なぜか私だけ、係員の方に捕まっちゃったんです。なんでー??がく〜(落胆した顔)他の方はちゃんと渡せてるのに。どうしよう。そう思った時、なんと、フジ子さんが私のいる方まで歩いてきてくださって「いいのよ。」っておっしゃったんです。ぴかぴか(新しい)それで、私のプレゼントを受け取ってくださり、握手までしてくださいました。暖かい手。泣きそうだったけど、頑張って「ありがとうございました」と伝える事ができました。

それから、フジ子さん、なんと3曲も弾いてくださいました。(MC一切なしのコンサートですが、アンコールの時だけフジ子さん自ら曲紹介をしてくださいます。声が聞ける唯一のチャンスなんです。)モーツァルトの「トルコ行進曲」、ブラームスの「ハンガリー舞曲」などポピュラーな曲ばかりでした。とても楽しいリズムで温かい音色でした。それと先ほどの心遣いが嬉しくて涙が止まりませんでした。

リサイタル終了。7時開演で終わった時は9時半頃。2時間以上も難しい曲を立て続けに弾かれたフジ子さんのパワーには脱帽です。

今回は前回と比べ、手が見える位置から鑑賞できた事、ピアノの練習を実際にしている事など私の置かれた環境がだいぶ違ったので、音楽にどっぷり漬かるというよりは、楽しく勉強させてもらったという感じでした。

そして、私をピアノの世界に連れ戻してくれたフジ子さんに直接感謝の気持ちを伝える事ができました。それを受け止めてくださったフジ子さんがますます好きになりました。

すごく良い気分で帰ろうとした所、先ほどの係員にまた捕まり、叱られてしまいました。ふらふらザ・シンフォニーホールの決まりでは演奏者に花束やプレゼントを渡す行為は禁じられているそうです。どうしても渡したいなら出待ちしてくれと言われました。

フジ子さんに何か迷惑をかけたのかなあ。もしそうだったら、大変申し訳ない。
クラシックコンサートを鑑賞するルールみたいなのがあるのかな、ああいう立派なホールだと。私の勉強不足だったのかな。フジ子さんの優しさに甘えてしまってたのかな。反省。

でも、今回、私は自分の言葉で「ありがとう」が伝えられたし、他にも私のような気持ちの方はたくさんいらっしゃると思うので、ステージ後プレゼントを渡すという行為はコレで最後にしようと思います。

<追伸>
対馬特産の「あおさ」はフジ子さんのお口に合いますでしょうか...
posted by スミゴルフ at 02:22| 大阪 ☁| Comment(9) | TrackBack(1) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月25日

宮川彬良&平原まこと チャリティ デュオコンサート

今日は先日チケットが当選した大阪ガス主催の「宮川彬良&平原まこと チャリティデュオコンサート」に行ってまいりました。

開場1時間前に義母と待ち合わせ、ガスビル8階のレストラン「ガスビル食堂」で夕食を食べました。「食堂」となっていたので気楽な気持ちで行ったら、すごく雰囲気の良いレストランで、壁にはたくさんの絵画が飾ってあり、従業員さんのサービスもとても行き届いた素晴らしいレストランでした。そこで食事をしていると、隣のテーブルにちょっと雰囲気の違う男性が食事をしていました。平原まことさんかなと思ったけど、開演前に普通に食事する訳がないと思い気にしないでおきました。

で、食事後エレベーターで彼と乗り合わせたのですが、首にあのサックスを引っ掛けるヤツをぶら下げているではありませんか。でも、平原さんの顔をちゃんと知らなかったし、エレベーターには他のお客さんもいたので、そこでも「まさかね」って思うことにしました。

それから会場入り。まず、そこでビックリ。趣のあるホールではあるのですが、音響効果などが一切ないただのホールだったのです。そして2メートル四方のお立ち台の脇にアップライトピアノが。で、その80センチ後方にはお客さんのイスが並べてあります。ええ?こんな環境で演奏してくれるの?アキラさん達てめちゃ良い人かもしれんって思いました。

席は自由席でした。アキラさんの演奏する手が見える場所をと思ったのですが、そこは全部埋まっていたので、アキラさんの顔が良く見える側の前から3列目に座りました。でも、そこってとてもよい席で、アキラさんの表情と平原さんの演奏がすごく良く見えました。

席も決まり、落ち着いた所でプログラムを読みました。プログラムにはアキラさんと平原さんの写真とプロフィールも掲載されていました。そこで、さっきまで隣のテーブルで食事をして、エレベーターに乗り合わせた男性がやはり平原さんだったことが発覚!ガーン!!なんてもったいない事をしたんだ。そして、平原さんのプロフィールを読んでいくと、ジャズトランペッター平原勉を父に持ち、玉置浩二などのコンサートのサポートメンバーとして活躍とあったのです。これって、「Jupiter」の平原綾香のお父さんやん!!顔、そっくりやん!!

アキラさん目当てで来てて、平原さん、ノーマークでした。ホント失礼な事しましたよ。平原さん、ごめんなさい。

それからまもなく開演。なんと私の座っていた席のすぐ側の扉が開いてアキラさんと平原さん登場。平原さんは一人でテナーサックス、アルトサックス、ソプラノサックス、クラリネットを両手いっぱいに抱えて登場。(誰か手伝ったれよ!って感じでした。)

それからいきなり2曲(お二人の出したCDより「イスカンダル」「宇宙戦艦ヤマトのテーマ」)演奏。「宇宙戦艦ヤマトのテーマ」はなんかとってもムーディーでアレンジでこんなにも曲が変わるのかと感動しました。アキラさんのお父さんがどちらも作曲したんですね。知らなかったです。

平原さんがテナーサックスで波の音を表現されてるのを見て、サックスもいろんな使い方があるのねと感動。(中学生の頃ブラスバンドで1年ほどサックスを吹いていた時期があったので、サックスの演奏を見るのはすごく好きなのです。)

そして、二人の挨拶。アキラさんの喋ってる所、初めて観ました。(だって、クインテットではノッポさん状態で喋らないですから。)アキラさんも平原さんもすごく面白い方で、ボケとツッコミも出来て、観に来てた子供にしゃべりかけたりと会場は和やかムードに。

なんと、平原さん、「クインテット」のフラットさんの楽器を担当されているらしいのです。しかもフラットさんのパペットのモデルは平原さんらしい。知らなかったよ〜。
クインテットのテーマ曲を生演奏で聞かせてもらい、感動しました。「ホントだ!(フラットさんの音や!!)」って思わず声を上げて喜んでしまったら、平原さんと目が合いました。(いや、合ったと思ったのは私だけかも)

それから童謡「さっちゃん」の歌詞についてアキラさんがピアノをぽろぽろ弾きながらしみじみ語ってくれました。「さっちゃんはどこに行ったんだろう。小さい頃は引っ越したんだと思ってたけど、ホントはもっと遠くに、ずっと会えない遠い所に行っちゃったんだろうね。」と。それから「さっちゃん」の演奏聴いたんですけど、ちょっと泣きそうになりました。

かと思えば、「あんたがたどこさ」の「それを木の葉でちょいと隠す」の「それ」とは何だという話になり、私の口からは恥ずかしくて言えませんが、「それ」を平原さんがテナーサックスで面白く表現して会場を大爆笑させたりもしてくれました。

それからおとなし目に「マツケンサンバU」を演奏。その後、やっぱりにぎやかに楽しくやろうよということで、観客のみんなの手拍子を太鼓代わりに元気に「マツケンサンバU」を演奏。同じ曲でも全然ちがう、アキラマジック。素晴らしいです。

その後、10年前に15秒で作った曲が今頃になってすごく売れて、ビックリしたという話から、印税がもらえそうなので、いくらもらえるか分からないけど、もらう前にゴールドのプリウス買っちゃったなんて話も出ました。

他にも近い将来平原綾香さんが歌うかもしれないという、まだ歌詞の出来ていない曲を演奏したり、平原まことさん作曲の曲を2曲(「Moon Tears」と「La Belle Pomme」)演奏したり、ホントは100人のオーケストラで演奏する「開眼」という曲を2人だけで見事に演奏したり、とても充実した内容でした。

で、最後の曲として「竹田の子守唄」か「五木の子守唄」のどちらかを演奏します。ということになり、観客の拍手で演奏曲決定。あれ、結局どっちだったのかな。聞き覚えのある懐かしい子守唄でした。

それから退場前にアンコールに応えてくれて、1曲演奏してくださいました。

私、アキラさんにどうしても握手してもらいたくて、退場の際、駆け寄って握手をお願いしました。嫌な顔一つせず、笑顔で握手に応じてくださいました。「クインテットいつも楽しみに観てます。」って伝えました。狭い会場で良かった〜。

アップライトピアノで演奏されたアキラさん、おんなじピアノを使ってるのが信じられないくらい曲ごとに音にいろんな表情が出ててすばらしかったです。そして音が暖かいんです。人柄が出てるんだろうな。「開眼」という曲ではハープの演奏を聴いてるかのようなすごく早いんだけど優雅な演奏(演奏してる本人はメチャきついらしく、演奏前に準備運動したり、「Good Luck!」と掛け声かけたりしてました。)で感動しました。手元が観たかったです。

また、平原まことさんのクラリネットの演奏中、管の部分をポンポンと叩いてちょっと違う音を出したりする技にも感動。管楽器を知り尽くしてるんだろうなと思いました。

お二人ともまさに「音を楽しむ」=「音楽」をされてて、私も義母もすごく良い気分で帰路に着きました。

それにしても、アキラさんの髪の毛サラサラやったな。どんなお手入れしてるんやろ。

宮川彬良さん公式HP
平原まことさん公式HP
posted by スミゴルフ at 22:36| 大阪 ☀| Comment(2) | TrackBack(1) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月20日

私のピアノ暦

外出先からの投稿です。今日は私のピアノ暦を書きたくなりました。

私には5つ年上の姉がいます。もの心ついたときには家にはピアノがあり、姉がいつも練習したので、初めてピアノに触れたのがいつだったかは覚えていません。

3歳の頃、ヤマハ音楽教室に通い始めました。鉄筋コンクリートの無機質な感じのビルの1室に教室がありました。教室には先生のピアノが1台と生徒用のオルガンが数台。一人一台オルガンがありました。お母さんたちは教室の後ろにいつも立って様子を見ていたと思います。

音楽教室はとても楽しかった。楽譜はかわいい絵がいっぱいでページをめくる時はいつもわくわくしました。リズム遊びをしたり、先生が弾く和音の音を当てるゲームをしたり、時には先生のピアノで一人づつ演奏を披露しあいました。

そして、練習が終わると、ビルの1階にある和菓子屋で桜餅を買って食べるのがとても楽しみでした。

小学校にあがるのと同時に、音楽教室をやめ、姉が通っていたピアノ教室に通うことになりました。ヤマハを辞めることにかなり抵抗がありましたが、母はたぶん、姉のように本格的にピアノの練習をさせたかったのだと思います。

私はそのピアノ教室が大嫌いでした。
ト音記号をノート1ページ書かないと、ピアノを触らせてもらえなかったり、
上手な姉に比べられて、先生にため息をつかれたり、
先生に嫌われている気がして、ピアノの練習が嫌になりました。
ピアノの練習をしないまま教室に行くから先生のため息は増えるばかり(悪循環)。
私はどうしたらピアノ教室に行かずに済むか考えるようになりました。母に内緒で教室の近くの空き地で時間をつぶした日もありました。(バレてたかな?)

それから両親の離婚でピアノ教室のない田舎に引っ越すことになり、私はその先生から解放され、気に入った曲だけを好き勝手に弾けるようになりました。

でも、年齢が上がるに連れ、ピアノの上手な転校生などが来ると、自分のピアノ練習暦の乏しさが分かり、ピアノを習っていたと人に言わなくなり、ピアノも弾かなくなりました。

そして大人になりました。
図書館で偶然フジ子・ヘミングさんのCDを聴きました。私は初めて、ピアノを聴いて泣きました。ピアノが弾きたくなりました。
でも、ピアノを習わなくなってから何年もたっているから無理だと思いました。

そんな時、電車でクラシックギターを持った紳士と出会いました。彼はホテルで働いていて、休みの日などにいろんな所で演奏をしているとおっしゃっていました。ピアノを弾きたいが迷っているとの私の話を聞いた彼は、笑顔で「楽器を始めるのに、遅いも早いもないですよ。4年やれば絶対モノになります。楽器は良いですよ。自分との対話が出来て、そして癒される。ぜひピアノを始めなさい。」とおっしゃったのです。
彼の笑顔が今でも目に焼き付いています。
フジ子さんのピアノとクラシックギターの紳士、この二つの出会いがあったおかげで、私はピアノの世界に戻ってくることが出来ました。

ピアノの練習を20年ぶりに再開して、今度はブログというツールを通してピアノ仲間に出会いました。楽しく練習を続けていけそうです。

ありがとう。
posted by スミゴルフ at 12:36| 大阪 ☁| Comment(8) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月25日

フジ子さんのリサイタルにて

昨年秋、フジ子さんのソロリサイタルに行った時の事です。

ロビーでは彼女のCDなどのほかに、彼女の描いた絵のポストカードなどが売られていて、結構楽しいのですが、その売り場で「フジ子ビール」(正式名称は忘れました)というビールも売られていたのです。

そのビールを大きな声で説明しているおっちゃんがいたのですが、「めっちゃ怪しい。目が合ったら買わされる。」と思いそのおっちゃんには近づかないでおいたのです。

が、naokixxxmukuさんのブログを読んでいると、どうもその「めっちゃ怪しいおっちゃん」はフジ子さんの弟で俳優の大月ウルフさんのようなのです。(弟さんがいるのは知ってたけど、俳優さんだとは知らなかった。)

Yahooで「大月ウルフ」を検索したら、
フジ子・ヘミング記念芸術館 CAFA TEATRO"LA CAMPANELLA"
と言うものを発見。「フジ子・ヘミングのコンサート日は休館」って書いてあるから、コンサートの日は必ず同行してビールを売っている可能性大です。

写真見たけど、「おっちゃん」改め「この方」に間違いないです。特撮界ではかなり有名な俳優さんのようです。

今度、武道館ライブに行かれる方々、ウルフさんにも会えるかもしれませんよ。
posted by スミゴルフ at 21:28| 大阪 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月05日

リチャード・クレイダーマン

6歳まで住んでいた家にはリビングにYAMAHAの黒塗りのピアノがありました。

ピアノの上には私と姉の使う楽譜とメトロノーム。そしてなぜかリチャード・クレイダーマンのポスターが額に入れて飾ってありました。

私の母が彼のファンで、彼のカセット、楽譜(姉に弾かせるため。自分は弾けない)等を買ってきて、ピアノ周辺はクレイダーマン一色になっていました。

ピアノを弾いているとき、見上げるとブロンドの青い目のお兄さんが私に微笑んでいます。音楽室に有名な音楽家たちの肖像画が飾ってあるように、当然のように飾ってある彼のポスター。友達の家に飾ってないのを不思議に思ってましたからね。

彼はたまに教育テレビなんかに出てましたけど、インタビューは「アマデウス」に出てきそうな部屋で受けてたし、いいとこのお坊ちゃんだったのかな。

彼こそ、元祖「微笑みの貴公子」だったりして。
posted by スミゴルフ at 14:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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